脱コンビニ論
僕は、会社を辞めてからコンビニでものを買うことが無くなりました。(これまでのクライアント様がたには大変申し訳ないのですが。)
そう決めているわけではないのですが、僕にはあそこに必要なものがないからです。
そして、僕の経営するお店は、この必要でないかもしれないコンビニにとって代わる存在を目指しています。
コンビニの特徴。
「利便性」・・・好きな時間に、必要なものが大体手に入る
「効率性」・・・オペレーションを意識した均質的な品揃え
「アノニマス」・・・顔の見えない存在との売り買い
コンビニは、お金で簡単に手に入る時代を作りました。
そうなったことで、作り手側(労働)側よりも買い手(消費者)側が主導権を握るし、労働の価値よりも購買力の価値に重きが置かれる世界観になります。これは、コンビニが普及するようになった高度経済成長期からの比較的新しい概念です。
購買力がものをいうということは、それを得るに至った働き方については問わないという価値観になってくる。つまり、「効率的に儲けた収入のある人間がえらい」という価値観です。
今の社会では、「あなた何やっているの?」と聞くとき、その相手は、購買力(収入)を意図して、値踏みするのが習慣になってしまっています。これが消費社会を物語っていますね。
そうすると、グローバル経済の主役である外資系とか、お金を操る金融マンがヒエラルキーのトップにたって、多大な苦労の割には報われない農林水産業はもちろん、欧州では考えられないほど日本の建築家のステータスは高くなりません。
飛躍もいいところですが、と一応断っておきますが、このような本来的な価値とは異なる価値ヒエラルキーを作り出したのは「コンビニ」であり、それが諸悪の根源とも言えないでしょうか。
僕は、大学でものごとのデザインの基礎を学び、社会にでて消費社会 の仕組みのデザインをしてきましたが、これから先のチャレンジは、「見えないもの」のデザインです。
事業とその延長上にある経済の目標は、成長し続けてお金生み出し続けることですが、その限界は明らかであるだけでなく、むしろ激しいスピードの成長や競争は、「見えざる資産」ー自然、健康、心の豊かさ、家族や仲間の絆ーを食いつぶしてしまっています。GDPは、自然を汚染しても、肥満になっても、うつになっても、離婚しても、犯罪が増えても、 上がりますから。
見えないものは、お金で交換できないものなので、経済指標には入らず、従っていわゆるビジネス社会に洗脳・依存・埋没してしまっている多くの人たちには、本当に見えなく、価値も理解しにくいものです。
企業が、CSRとかCSVとかいっていろいろ取り組んでいますが、多くの場合は所詮、お化粧です。それはやむおえない。なぜなら、消費者があいも変わらないからです。消費者に支持されなければ企業は成り立たない。だから、消費者が変わらないと企業も変わらないんです。
僕は、青空空間という小さなお店で、そのような「見えないもの」を、逆にお客様にたくさん見せていただいています。いいお客様がいれば、いい経営が成り立つ。そういうお客様たちがますますハッピーで、さらに増えていくようにできたら最高だなと思っています。