外資系コンサルタントの僕が農業をはじめた本当の理由

昨日は、NHKあさイチさんの放送で数分ですが鎌倉での農業への取り組みを紹介していただきました。(8月20日放送 "JAPA"なび神奈川県・鎌倉市

数分の放送の裏側では、念密な打ち合わせと何度も足を運んで僕の行動に密着していただき、1時間ほどはカメラを回していただいていました。

放送が終わったんでぶっちゃけますが、僕はもう何年も前にテレビを捨てたんで、長らくテレビを見ていないし受信料も払っていません、笑

 

でも、テレビの裏側ではこれだけ熱い思いを持って制作している方たちもいるんだなと感激しました。番組の制約がある中でも、僕の伝えたいことをできるだけ伝えてあげたいという思いで真摯に取材・編集いただいた沼尾ディレクターには本当に感謝し、敬意を表したいと思います。

 

番組では伝えきれなかった僕が農業に関わる本当の理由をここに記したいと思います。

 

今回の取り上げ方もそうですが、農家さんを支援しているというと、一般的には「農業」の再生という目的・文脈で理解されます。日本における農家さんの高齢化・労働者不足という課題は確かに存在し、僕が今やっていることは、ボランティアを集めて農家さん援農の仕組みをつくっているので、もちろんそういった課題の解決も狙っています。

 

 また、「個人」のライフスタイル充実という目的もあります。自然に触れながら自分でつくった野菜はやはり一番美味しく感じます。また、「都会の台所は3日しかもたない」と言われている通り、バリューチェーンが最適化されたグローバルチェーンに依存した暮らしは、これから何が起きるかわからないこの世界においては逆にリスクでもあるので、まずはいかなる時にも自分たちの食料を確保できる状態にしておく=自給率を高めるておきたいという目的もあります。

 

でも、僕が農業に携わっている本当の理由は別のところにあります。

僕が農作業ボランティアの仕組みを通じてできる限り多くの一般市民が農業に携わる仕組みづくりを進めている本当の目的は、「個人」のライフスタイルでも、「農業」(= 「生産者/企業」)でもなく、「消費者」の改革です。

 

 

農業への消費者参加の仕組みをきっかけとして実現したい改革テーマは以下の4つです。

1. 消費者の” 目を開く”

2. 消費者が”あるべき文明の行方”を選択できるようにする

3. 消費者から”創造者”への移行を促す

 4. マネー依存型経済から”信頼型交換経済”への移行を促す

 

 

1.  消費者の”目を開く”

 

僕たちの暮らしは、スーパーに行けば今食べたい野菜がなんでも手に入るし、蛇口をひねれば水は出るし、スイッチを押せば電気がつく便利な世の中です。

 

僕たち消費者は、「こんなに便利で、こんなに完全で、しかもこんなに安いんですよ」という企業の甘い宣伝文句を鵜呑みにしてそれを便利だから、安いからと当たり前に購買してきました。

でも、「世の中、そんな都合のいい話はない」。

それが、3.11でまざまざと突き付けられた真実ではないでしょうか。

 

農業をやってみると、その現実をまざまざと突き付けられます。

「ああ、ネギを今すぐ食べたい」と思っても、冬ネギは実は6月には植えてそれからずーっと面倒を見つづけてはじめて冬に収穫できる、そんなに手間と時間がかかってようやく食べられるものなんだな、ということを知れたりします。

 

「農薬を使っている野菜なんて絶対に食べないわ、でもこれはちょっと葉っぱに穴が空いていて汚いから買わないわ!」

農業をちょっとでもやってみると、おいおい、となるでしょう。たわわに実ったソラマメを大量のアブラムシが覆い尽くしている状況を目の前でみたときに、どう思うでしょうか。ソラマメはたくさん食べたい、でも、農薬は使いたくない。それはみんな同じです。でも消費者は都合のいいことをまるで当たり前のように要求してしまっていますが、それは傲慢そのものというものです。生産者はそういったジレンマと必死に戦ったうえで、なくなく微量の農薬を使い、そのおかげで消費者はようやくソラマメにありつけているということもあるのです。

 

「やっぱり有機野菜がいいわ、でも安いのがいいわ!」

耕運機、ビニールハウス、農薬、化学肥料などを使った慣行農法によって、ようやく安くて美味しい野菜がいつでも食べられるようになったのです。そして、その状況をずっと支持し続けててきたのは僕たち消費者なのです 。そうやって大量生産大量消費に最適化した慣行農法用向けにつくられた土は痩せてしまいました。

 

一例ですが、北米の五大湖周辺の「世界の穀倉地帯」は、典型的に工業化された大規模農場です。ここでどんな農業が行われているか。半径1㎞ある巨大な自走式散水管に地下水を大量に汲み上げ、大量の化学肥料をいれ、高圧をかけて注入し、ザーッと散布する。巨大トラクターで耕耘してから飛行機で種を播き、成長したら巨大コンバインで収穫。最初から最後まで農場主は土に触りもしません。実は、この農園は、20年の使い捨てです。二度と豊かな土に戻ることはなく、砂漠化します。そしてまた新たな土地を文字通り食いつぶしているのです。

 

この状況を見た日本人が、「ひどいじゃないか!」というと、あるアメリカ人関係者は、「それは消費者である日本の責任だ」と言い放ったという話があります。日本は穀物自給率29%と低く、その多くはアメリカからの輸入に依存している状況です。飼料用トウモロコシにいたっては、実に90%近くを米国から調達しています。

 

スーパーで買い物をするときに、野菜だけでなく、豚肉を買う際に(米国産の飼料を用いていることを知らずに)このようなひどい環境破壊に自分が加担しているのだ、ということを自覚している消費者はどれだけ存在するでしょうか。僕たち消費者はまったくの盲目のなかで消費活動をしていることがわかってくると思います。

 

米国の大規模農園ほどではないにしても、一般的な慣行農法で痩せてしまった土は、再び微生物の多様性を取り戻し、肥沃な土にまで戻すのに最低3年~10年はかかると言われています。その間、生産量はガクッと落ちることは避け難いし、無農薬、有機農法、不耕作農法など、はじめのうちは少なからず手間がかかり、大規模にやるのは難しい。

 

そういった「都合のいいことはない」という真実を消費者が理解しなければ、本当に素晴らしい取り組みをしている小規模農家さんを持続可能にすることはできません。安い買い物はできても、安全で安心な食が守れないのです。

 

これから、グローバル企業が遺伝子組み換えの振興市場として日本を狙ってくることは間違えありません。そのときに「都合のいい話はない」このことを知っておかなければ、「食料版3.11」のようなことが起こることも否定できません。

 

また、昨今は健康ブームによって、「オーガニックにハマり、暴走する女たち 」と呼ばれるように、フードファディズム(食べものや栄養が健康と病気に与える影響を、熱狂的、あるいは過大に信じること)という現象が起きています。

 

ビジネスや社会にいきずまりが起きたときに起きる現象といわれています。そういう時代に起こる「なにかにすがりたい」という消費者心理は、巧みにビジネスと政治に利用されます。こういったことにも、消費者は抵抗力をつけておかなければなりません。「偏った話には裏がある」わけです。

 

原発の製造プロセスに消費者が入り込むことは難しいですが、野菜づくりのプロセスに入り込むことははるかに障壁の低いことです。

 

農業に関われば、「都合のいい話には裏がある」、「偏った話には裏がある」、ということを身を持って体感できる。一旦、その感覚を体得すれば、食だけでなくあらゆるものには裏があることが見えてきます。

 

 

2. 消費者が”あるべき文明の行方”を選択できるようにする

 

「文明人は地球の表面をわたって進み、その足跡に荒野を残していった」

 ヴァーノン・ギル・カーター&トム・デール共著「土と文明」

先ほど紹介した北米の穀物地帯の話は、なにも近代社会の例外話ではなく、これまでの歴史の中で、人類は幾度となく肥沃な土地を荒野に変えては捨て、発展し、また新たな土地を争い、食い荒らし、滅亡するというパターンを繰り返してきました。豊かな土壌に満ちていた古代文明の多くが砂漠化しているという歴然たる事実がそれを物語っています。

 

農業は、文明の始まりであると同時に文明崩壊の始まりでもありました。

消費量を増やし、増える人口に対応すべくますます生産量を増やすための効率的な仕組みをつくっていった、それが文明です。そして、文明がその創造の源となる土(環境)を無視してしまったことから崩壊へと向かう、それが典型パターンでした。

 

農業に触れるということは、自然と人間の関係性がいかにあるべきか?を否が応でも考えずにはいられません。

農業を始めたときが、人類の自然破壊の始まりです。肥料もやらず、耕さない、何もしない、科学の存在を真っ向から否定して確立した自然農法の創始者福岡正信さんですら、自らの農法を「懺悔の念で伝える」と著書に記述しています。自然に手を入れない限り農業は成り立たないし、完全に自然を壊さずに人類が生きていくことはできないのです。

 

ですから、農薬を使わなければそれでいい、有機農法であればいい、というのも問題に対する思考停止です。また、もっと極端に過度に環境に配慮していることが必ずしも「万人に対する正解」とも限りません。(その結果、人が苦しみながら生きづらい世の中になってしまうのなら)地球にも優しく、人にも優しい、その選択の線をどこに引くべきか?それに唯一の答えはないのです。その線は、人それぞれで違います。なぜなら、それは一人一人の生き方・考え方そのものだからです。だから、企業のいいなりになるのではなく、それぞれが人生の様々な選択を通じた実践において、苦しみながらもジレンマの中でそれぞれの答えを見出していく。それが、結果的に地球と人間の総体としての正しい姿に向かうのだと思います。

 

みなさんは、森の中で深呼吸をすると気持ちがいいのはなぜだろう?と考えたことがあるでしょうか。

僕はひとつのとてもシンプルな仮説を思いつき、それで納得したのですが、「そうか!」と気づいたときの感動はいまでも忘れられません。

 

僕は、呼吸を通じて自然と人間が一体になっているからだと考えたのです。当たり前のことです。

小学校の化学で習ったとおり、呼吸は、二酸化炭素を排出し、植物はそれを受け取って、光合成という仕組みで酸素を人間に返します。小さな相互のインプットとアウトプットを通じて人間と自然はひとつの一体化したシステムとなっているのです。そのとき気持ちいいと本能的に感じるのは、小さいけれどもお互いの生命にとって欠くことのできない強い結びつきと循環が存在するからなのだと思ったのです。自然は人間が鑑賞するものではなく、支配するものでもなく、人間の一部であり、また人間は自然の一部なのだと改めて感じた瞬間でした。

 

しかし、かといって近代化で獲得した科学技術の全てを否定するべきではないとおもいます。ただ、これからの人類の発展を考える際に、人間と自然のあり方をどう考えるべきか、その思想がとても大切になってきます。人がますます自然を克服し、支配するために科学を活用するのか、あるいは人間と自然が共生する世界のために科学を活用するのか。僕個人としては後者の世界に住みたいですし、これまでの人類の歴史から考えてみても、やはり、人間も含めた地球の持続可能性を目指すならば、後者を目指すべきというのは間違えないのではいかと思うのです。ラブロックのガイヤ理論を適用するならば、人類が地球の持続可能性に寄与しない存在になったときには、人類が滅亡するような調整作用が起きるだろうということです。

 

先日の畑仕事のことです。早朝から3人で2時間かけて、タンクからジョウロに水を汲みながら、植えたばかりの人参に水遣りをしていました。畑とタンクを何度も往復し、ようやく終えて帰宅したときに、思わぬことが起きました。雨です。「いままでの作業はいったいなんだったんだろう!?」と思う一方、農家さんとは「自然にはかなわないよね、仕方ないことだよ。逆に降ってくれてよかったね」という会話をしました。

 

農業に消費者が携わることで、いかに自然の恵みが豊かで、それは使い方次第で人工的エネルギーよりもはるかに効率的であることに気づき、一方で自然の驚異は避けられないものであることを悟り、だからこそ、それを農薬や厚い壁で排除するのではなく、不自由な側面も受け入れて生きるという選択を”消費者が選べるように”なっていくのではないか、という期待をもっています。

 

 

 

3. 消費者から”創造者”への移行を促す

 

日本のサラリーマン人口は全体の47%とほぼ半分近くの割合です。これらの人たちは、企業という枠組みの中で、ある専門領域に特化して労働をし、対価としてもらった給料を使って消費するという生活をしていると思います。言い方を変えれば、一つのことは自分でつくれるけれども、あとのことは他人任せ、という社会をつくりだしました。お金さえあれば全部他人がやってくれる、自分では何もしなくていい。ビジネスの世界では、「これからはクリエイティビティーが重要だ」といわれていますが、これまでの社会システムは人間の個性と創造性を排除することをしてきてしまったのではないでしょうか。

 

「百姓」とは、百の姓と書きます。要するに昔の農家さんは自分でなんでもできたクリエイターだったわけです。 無名であっても日々の暮らしの中で気づくフィードバックの積み重ね、そして村の中や代々伝わる工夫に満ちた叡智の積み重ねが、結果として美の境地となり、文化となりました。それが開花した時代のひとつが江戸時代でした。 詳しくはまた別の機会にしますが、これから持続可能な社会を目指すという時代においては、「全員が創造者となるべき」だと考えます。仕事を創出するという観点だけでなく、成長しない時代のリスクヘッジという観点でも重要だと考えます。

 

消費者が農という生産行為を経験するということは、とても簡単で有益な創造へのきっかけになると思います。自然の法則を体感しながら効果的効率的な生産方法を模索していくということは、クリエイターにとってなによりも勉強になることだと思います。

 

現在 畑のボランティアにきているメンバーは畑作業をしながら、「これらの野菜をどうやったら美味しく食べられるかな?」などと楽しそうなブレストで盛り上がっています。鎌倉野菜は多品種つくるのが特徴で(これも、グローバル企業に対抗した種を守る、多様性を守る、という動きになればいいのですが)、見たことも食べたこともない、カラフルな野菜も多くつくっています。また、料理というのはあらゆる複合的な知識や感性を要求されるので、クリエイティビティのよい教育に成ると思います。そうやっていくと、このお野菜には、どんな食器が合うかな?お花も飾りつけてみようかな?、テーブルのディスプレーはどうしよう?・・・そうやってどんどん身の回りを健康で美しい環境にしていくモチベーションと活動が自然に起こっていく、ということを実際に目の当たりにしています。自然と触れあうことはクリエイターにとってとても大切だというのはよくいわれていますが、農業は、それに加えてわかりやすいお土産(食べると美味しいという)があるので、学びがますます促されるのです。

 

 

 

4. マネー依存型経済から”信頼型交換経済”への移行を促す

 

畑のボランティアを通じて知り合った仲間たちとは、じゃあこのとれたて野菜をつかって持ち寄りパーティーをしようよ!となります。ときには、「俺は今日、釣りに行ってアジを釣ってくるよ」という話があって、「じゃあ、畑から野菜もっていくから」ということで、即席パーティーが開かれたりします。食べ物の新鮮さ、そして自分たちでつくったものである、その思い同士が交換されるという喜び、そしてほとんどお金がかからない。

 

海山がある豊かな田舎では当たり前のことだと思いますが、こういった生活をしていると、豊かさとは何か?を改めて考えさせられます。都会では、どうやって調理されたかわからない料理を、おしゃれな空間の中で、雑誌に載っていたから多分美味しいのだろうと思いながら、高額な料金を払って食べる。それが、果たして本当の豊かさなのかどうか。

 

誰かを訪ねるときに、デパートで菓子折りを買っていくよりも、自分でつくった野菜を持っていくととても喜ばれるし、距離が近づくのを感じます。そして、相手からも何かを与えたいという気持ちが自然とあらわれてくるのを感じます。

 

僕が思い描く未来は、ものの経済→サービスの経済の次は、「心の経済」になるというものです。

これからの社会は、全員が創造者になる時代と言いましたが、そういった創造者が、各人の想いを相手にアウトプットする。そして相手は、その想いに応えるように自分の想いを返す。そういう心と心の経済が始まるのだと夢見ています。

 

農家さんの実態ですが、つくられたものの平均1/3が捨てられているそうです。しかも、遠方へ出荷しなければいけないがために、今食べごろの野菜が規格外となって捨てられる、ということが当たり前に起きています。十分美味しいのに形がおかしかったり傷がついているものについてはいうまでもありません。これらを仲間で食べていて最高に幸せであっても、実態経済には反映されないので、今の世の中の尺度では豊かであることにはカウントされないことになっています。「新しいことは都心からは見えにくくなっていて、むしろローカルから新しいことが始まっているのだ」と言われている所以はこういったところにあるのだと思います。

 

しかし、こういった豊かさに気づき始めている人たちがいる中で、遅かれ早かれ、現代のマッチングやプラットフォームのテクノロジーが組み込まれることで、経済にも反映されてくる時代になっていきます。

 

先ほどの「心の経済」という流れと人口減・高齢化社会でますます顕在化してくる需要と供給の不均衡。これらをポジティブに解消していく事業・経済が立ち上がってくる。ちまたでは、ギフトエコノミーとかシェアリングエコノミーとかいわれているものです。

 

しかし、これらを支えるプラットフォームビジネスも、やはり欧米の仕組みだけもってきても決してうまくいかないと思います。

マネー依存型社会では、人と人は不信をベースに金で繋がっていた社会でした。これからは、人と人の心の絆で繋がっていく、そうやって信頼関係のある土壌が築かれていくことでプラットフォームビジネスもますます発展していくのではないでしょうか。そういったことに長けている国はどこか?

紛れもなく日本でしょう。

 

 

 

 

 

最後に、ここで「僕がアクセンチュアを辞めた理由」に繋がります。

資本主義経済システムのアップデートは、持続可能性の獲得に向けて企業サイドにおいて重要課題となっており、そういったB to Bの改革も進み始めています。

一方、B to Bの課題解決の限界としてのCの問題。すなわち消費者が変わらなければ企業は変われない、というところを自身の取り組むべき課題として僕は位置づけています(B to C)。消費者が変わることで、企業が変わる、そして社会にとってよい企業だけが生き残る社会になるという仮説。

 

農業に消費者が関わるということは、消費者が生産プロセスに関わるということ。しかも、持続可能社会において重要になる自然との共生のあり方が問われる生産に関わるということ。

農業への消費者参加は 、モチベーションに寄与するお土産もあり、参入障壁が低い。例えば「自然保護」や「反XX」という枠での取り組みはどうしても、入り込みにくい雰囲気があったりするのではないでしょうか。でも、畑はわかりやすい。「美味しい!が世界を変える!?」消費者の意識改革には最もレバレッジが効く取り組みのひとつと思っています。

 

特に、女性の参加が効果的だと思っています。現在農作業ボランティアメンバーの9割は女性であり、後世へ問題を先送りにしてはならない、という危機感に対する潜在的な意識の高さというのは、女性性にあるのではないかという仮説を持っています。いずれにしても、女性の意識と消費活動が変われば、近所の奥様が変わる、子供が変わる、そして最後になくなく夫が変わる、笑。これからは、女性が社会を変えるドライバーになると確信しています。

 

日本の小規模農園を支援する企業さま、安全で安心な農を追求する農家さまや製造・小売企業さまには、ぜひ畑への消費者参加の仕掛けづくりが有効であることをお伝えしたいとおもいます。畑に興味のあるボランティアの方々が、新たな消費者運動の中心となり、これからのあるべき経済市場の中心になることをサポートしていければと思っています。

 

これまでの資本主義システムの大きな欠陥の一つは、消費者が企業の生産プロセスを評価・監視するガバナンス機能をにもたなかったことにあると考えています。そのことが、強欲化する消費者と暴走する企業を助長させてきたのではないでしょうか。

 

消費者が生産側に組み込まれる仕掛けをつくる。これが今後の資本主義システムのアップデート項目の一つだと考えています。

消費者参加型の”共創”による商品開発、顧客による商品レビュー・レコメンド、消費者が特定企業の購買にコミットするCSA(生協モデル)、など、様々な仕掛けづくりが進んでいます。

 

しかし、これもまた、仕組みだけでは決して解決しません。消費者が今までと同じ価値観の消費者である以上、消費者によるガバナンス機能は、あいもかわらず企業のまやかしの罠にはまり、形骸化してしまうでしょう。

 

みんなで農業をはじめましょう。

日本人全員が農業に携われば、この国は再び世界一豊かな国になると信じています。

 

Rainbow Valley Farm Kamakura

 by Blue Soil Consulting

~ 進化するための土壌をつくる~

 

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